操体法に関する誤認識:バランスがとれているから気持ちいいのではない

操体」と、ぐぐってみると結構な数がヒットする。操体のサイトも一時期に比べると多くなった。

先週新潟の全国大会から帰ってきて、やっぱり何だか操体がご認識されているのか?と思ったりもする。

一番気になったのは、先日も書いたとおり、

「バランスがとれているからどう動いても気持ちいい」という認識をしているケースが多いのではないかということだ。

これは「快(適感覚)」と「楽(な動き)」を混同している。

言葉上では「きもちよく」と言っているが、実際は「楽」をとおした二者択一の運動分析を行っているにすぎないのではないか。

その証拠として、「どちらが楽ですか、辛いですか」という分析は、比較的分かりやすい。辛い方がわかるから、何ともない方は楽な動きなのである。

「どちらがきもちいいですか」と被験者に問いかけて『どちらか分かりません』と言われたケースはないだろうか?両方ともきもちよく(両方ともアンバランスになっていて快適感覚があることもある)、片方を選択するのが難しいと言われ、操者の「きめつけ」で『こっちが動きやすいからこっち』と決めてしまうことは

ないだろうか?

これは「感覚は本人にしかわからない」と書かれている橋本敬三先生の意志を大切にしていないのではないか「。

それだったら、ある動きを通して『この動きにきもちよさがあるのか、ないのか、からだに聞きわけて』という動診を通したほうが臨床的には効率的である。

橋本敬三先生も本に書いていらっしゃるが「いつまでも気持ちがいいのは異常」なのである。

バランスがとれているから何をやっても気持ちいいのではなく、

気持ちいいのはバランスがとれる前の一時的な状態なのだ。

つまり、「快」(操法のプロセス)→「楽」(文字通り、楽になる)→「無」なんともなくなる

ということなのだ。

これは大事なことなので何度も書くが、

「バランスがとれているから何をやっても楽だ」というのならいいのだ。

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